めがね橋群【日本遺産】
八代市域には、石工たちによって江戸時代から近代にかけて架けられためがね橋が数多く残っている(現存46基)。めがね橋の多くは、壁石は自然石の乱積で質素ながらも、アーチ部分は加工を施した石材を用いるなど、実用性を重視しており、できる限り費用を抑えながらも、丈夫な橋を架けるための工夫がみられる。
美生地区の生姜棚田【日本遺産】
地域の住民と石工たちが協力し、棚田を造成したという言い伝えが地域に残っている。「日本の棚田百景」にも選ばれており、地形を利用した、山肌を覆う美しい石積みの棚田を見ることができる。現在は、特産品の生姜が栽培されており、地域に恵みをもたらしている。また、生姜は様々な製品に加工され、多くの人々に親しまれている。
ひねり灯籠【日本遺産】
90度ねじれたように彫刻された石灯籠。若宮神社の灯籠は嘉永4年(1851)に橋本勘五郎が作ったと伝えられている。また、近くの菅原神社の石灯籠嘉永7年(1854)は石工の文八の作で、さらに90度ねじれている。見た人に驚きを与え、石工の遊び心、技術の高さを今に伝えており、石工たちが暮らしていた「石工の郷」の雰囲気を醸し出している。
文政神社【日本遺産】
干拓事業に従事した人々を祀っている。明治43年(1910)、干拓事業の偉業をたたえるために、百町・四百町・七百町三新地の接点にあたる場所に、地域住民によって建立された。
大鞘樋門群【日本遺産】
【県史跡】文政2年(1819)の四百町新地干拓事業の際に建造された樋門。普段は城郭以外には使用されることの少ない巨石の加工・運搬、石材の積み上げなどに、八代の石工が携わったとされている。
郡築二番町樋門【日本遺産】
【国登録有形文化財】高潮により、決壊の被害を受けた明治時代の堤防の補強のため、昭和13年(1938)に建造された石造3連アーチの樋門。この時期に建造された他地域の樋門の多くがコンクリート造であるのに対し、石造の樋門であるという特徴があり、八代で長い間石工が活躍していたことを現在に伝えている。
旧郡築新地甲号樋門【日本遺産】
【国重要文化財】明治時代に行われた「郡築新地」の干拓事業の際に設けられた石造10連アーチの樋門。高度な石材加工・建築技術を用いて建造されており、現存する石造樋門として国内最大規模。1046haという広大な干拓平野をもたらした事業から100年経った現在も、樋門としての役割を果たしている。
赤松第一号眼鏡橋【日本遺産】
架設された年・石工など詳しいことはわかっていないめがね橋である。八代で架けられためがね橋の中では珍しく、装飾性に富んだめがね橋であり、やかんに湯呑みの装飾が束柱に施してある。