ひねり灯籠【日本遺産】
90度ねじれたように彫刻された石灯籠。若宮神社の灯籠は嘉永4年(1851)に橋本勘五郎が作ったと伝えられている。また、近くの菅原神社の石灯籠嘉永7年(1854)は石工の文八の作で、さらに90度ねじれている。見た人に驚きを与え、石工の遊び心、技術の高さを今に伝えており、石工たちが暮らしていた「石工の郷」の雰囲気を醸し出している。
90度ねじれたように彫刻された石灯籠。若宮神社の灯籠は嘉永4年(1851)に橋本勘五郎が作ったと伝えられている。また、近くの菅原神社の石灯籠嘉永7年(1854)は石工の文八の作で、さらに90度ねじれている。見た人に驚きを与え、石工の遊び心、技術の高さを今に伝えており、石工たちが暮らしていた「石工の郷」の雰囲気を醸し出している。
干拓事業に従事した人々を祀っている。明治43年(1910)、干拓事業の偉業をたたえるために、百町・四百町・七百町三新地の接点にあたる場所に、地域住民によって建立された。
【県史跡】文政2年(1819)の四百町新地干拓事業の際に建造された樋門。普段は城郭以外には使用されることの少ない巨石の加工・運搬、石材の積み上げなどに、八代の石工が携わったとされている。
【国登録有形文化財】高潮により、決壊の被害を受けた明治時代の堤防の補強のため、昭和13年(1938)に建造された石造3連アーチの樋門。この時期に建造された他地域の樋門の多くがコンクリート造であるのに対し、石造の樋門であるという特徴があり、八代で長い間石工が活躍していたことを現在に伝えている。
【国重要文化財】明治時代に行われた「郡築新地」の干拓事業の際に設けられた石造10連アーチの樋門。高度な石材加工・建築技術を用いて建造されており、現存する石造樋門として国内最大規模。1046haという広大な干拓平野をもたらした事業から100年経った現在も、樋門としての役割を果たしている。
架設された年・石工など詳しいことはわかっていないめがね橋である。八代で架けられためがね橋の中では珍しく、装飾性に富んだめがね橋であり、やかんに湯呑みの装飾が束柱に施してある。
規則正しい生活習慣・学習習慣の定着と豊かな心、健やかな体、柔軟な頭を養えるように子どもたちの「やってみたい」気持ちを大切にして、一人ひとりがのびのびとそして安全で安心して活動できる居場所を提供していきたいと考えています。