大鞘樋門群【日本遺産】
【県史跡】文政2年(1819)の四百町新地干拓事業の際に建造された樋門。普段は城郭以外には使用されることの少ない巨石の加工・運搬、石材の積み上げなどに、八代の石工が携わったとされている。
郡築二番町樋門【日本遺産】
【国登録有形文化財】高潮により、決壊の被害を受けた明治時代の堤防の補強のため、昭和13年(1938)に建造された石造3連アーチの樋門。この時期に建造された他地域の樋門の多くがコンクリート造であるのに対し、石造の樋門であるという特徴があり、八代で長い間石工が活躍していたことを現在に伝えている。
旧郡築新地甲号樋門【日本遺産】
【国重要文化財】明治時代に行われた「郡築新地」の干拓事業の際に設けられた石造10連アーチの樋門。高度な石材加工・建築技術を用いて建造されており、現存する石造樋門として国内最大規模。1046haという広大な干拓平野をもたらした事業から100年経った現在も、樋門としての役割を果たしている。
赤松第一号眼鏡橋【日本遺産】
架設された年・石工など詳しいことはわかっていないめがね橋である。八代で架けられためがね橋の中では珍しく、装飾性に富んだめがね橋であり、やかんに湯呑みの装飾が束柱に施してある。